市長コラム(令和6年度)
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令和6年5月
大型連休後半の最初の祝日5月3日は憲法記念日です。現在の日本国憲法は昭和21年(1946年)11月3日に公布され、翌昭和22年5月3日に施行されました。この記念日は「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」と定められています。
皆さんは日本国憲法の三原則をご存じだと思いますが、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」が大きな柱となっています。国民主権とは、民主主義の理念がその根底にあり、国の政治のあり方を最終的に決定するのは国民であるということを意味しています。我が国において現在では、18歳以上の成人の投票によって選ばれた代表が国民の代わりに政治を行います。
先日パリオリンピック聖火リレー中学生派遣事業で、駐ギリシャ日本特命全権大使伊藤康一閣下にお招きいただき、大使公邸で夕食をともにする機会を得ました。派遣団の私たち大人も、もちろん市内の中学生9人も食べ慣れた日本食に安らぎを感じ、元気を取り戻したひと時でした。冒頭のあいさつで伊藤大使は「ここアテネは世界で初めて民主主義による政治が行われた場所です」と語られました。中学2年生になったばかりの子どもたちにとっては少し分かりにくい話だったかもしれませんが、紀元前5世紀前後のアテナイ(アテネ)の民主主義は世界最初の民主主義として知られています。
アテナイの民主主義は、直接民主制でした。市民が法律や法案に直接投票をしたのです。アイスキュロスの悲劇「救いを求める女たち」には次のような一節があります。「民衆の手が頭上を埋め尽くす、右手がいっせいに挙げられた、満場一致だ、民主主義が民衆の決断を法律に変えたのだ」直接民主制の高揚した雰囲気を伝える文章です。
現代の間接民主制との違いが大きいのはもちろんですが、一番大きな違いは直接投票に参加できる「市民」とは成人男性であり、女性や在留外国人には参政権が認められていなかったことです。むろん当時労働力として存在した奴隷に対しては、人格の平等や基本的人権という概念も存在しなかったのです。
しかし、民主政治というものの発祥の地がアテナイ(アテネ)であったという事実に間違いはなく、パルテノン神殿から眺めるプニュクスの丘(世界初の民主的立法府「民会」が行われる丘)が、私たちに民主主義は機能しているかと問いかけているように見えたのは私だけでしょうか。
令和6年4月
今月16日にパリオリンピック聖火採火式が、本市の姉妹都市でありますギリシャ共和国オリンピア市で行われます。市内中学校9校の代表のうち、オリンピア市長によるくじに当たった1人がトーチを持ち、他の8人の伴走生徒とともにメインストリートを走ることになる予定です。
今月は古代オリンピックの由来について書きたいと思います。諸説ある中で一番興味深いと思う説を紹介いたします。
シピュロスの王ペロプスは、ピサの王オイノマーオスの娘ヒッポダメイアに求婚することにしたのですが、オイノマーオスは「婿の手にかかって殺される」という神託を受けていました。そのため彼は娘への求婚者に戦車競走をするように仕向けました。オイノマーオスの戦車を牽く馬は由緒ある名馬2頭で、ミュルティロスが御者を務めていたので、これまでの求婚者はオイノマーオスがゼウス神殿に祈りをささげている間先行をすることを許されていても、みな追いつかれ殺されていました。その数12人とも13人ともいわれています。
ペロプスは一計を案じ相手の御者であるミュルティロスに、王国の半分を与えるという魅力的な取引を持ち掛け承諾させ、戦車の心棒に蝋でできたくさびを差し込んでおくことに成功しました。競争が始まりペロプスは先行しますが、オイノマーオスが猛然と追いつき相手の背中をやりで突こうとしますが、まさにその時車輪が外れオイノマーオスは戦車から転落し、亡くなってしまいます。息絶える前にミュルティロスの裏切りに気づき、彼を呪ったといいます。
勝ったペロプスは、ミュルティロスとヒッポダメイアを乗せて戦車を西に走らせます。しかしミュルティロスとの約束を守りたくないペロプスは、岬の突端まで来ると彼を蹴飛ばし墜落させました。ミュルティロスは波に飲み込まれながら、ペロプスとその一族に呪いをかけました。何か呪いの掛け合いのようですね。
ペロプスは、妻の父であるオイノマーオスの王座を継ぐと勢力を拡大して、支配地の名前をペロポネソス(ペロプスの島)と改めました。ペロプスはさらにオリンピアも奪い取り、ギリシャ全土の名誉と尊敬の対象となったといわれます。しかし、ミュルティロスを殺した罪の償いとして、オリンピアの戦車競技場にミュルティロスの記念碑(ゼウス神殿という説もあります)を建て競技会を開きました。これがペロプスの死後も続き、古代オリンピックの始まりとなったという話です。
ギリシャ神話は、この話にも多くの枝葉があり多様なものですが、そんなギリシャ共和国オリンピア市で中学生がトーチを持ち、元気に走ってくれることを願っています。