市指定文化財 木造四天王立像
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四天王像は、本堂の内陣、須弥壇上宝塔の周囲四隅に安置されている。現在、寺伝では北東-持国天、南東-増長天、南西-広目天、北西-多聞天と称されている。しかしながら、平成8年および平成10年の2度にわたる愛知県史文化財部会による調査で、本像は東大寺大仏殿様の一典型例と認められ、その形状から右手を挙げ三鈷を執り、左手を腰に当てているのが持国天像(寺伝では増長天像)、左手を挙げ戟を執り、右手を腰に当てているのが増長天像(寺伝では持国天像)と考えられる。
四躯の像はいずれも像高55cm前後の木造彩色像で、構造については像の表面に彩色が残るため不明な点もあるが、大略以下のとおりである。頭部は前後に二ないし三材を寄せ、玉眼を嵌入する。体幹部は前後矧ぎとする(割矧か否かについては要検討)。また、両肩、前膊、手首より先を適宜別材で矧寄せる。更に持国天像(伝増長天像)と増長天像(伝持国天像)は、踏み上げた脚と背面裙末端のひるがえった部分を別材矧ぎとし、広目天像は右膝より下、多聞天像は左膝より下の前面を別材で寄せている。各像の邪鬼は、大略顔面をマスク状に矧いで玉眼を嵌入し、頭を起こしているものは頭体別材矧ぎとする。邪鬼の体幹部は一木あるいは上下二材を矧ぎ寄せ、前・後肢を適宜矧ぐ。なお、四天王像頭部の正面頭飾と冠繒、胸甲から肩・背中にめぐる左右の帯、および背中で柄を固定している光背は銅製である。さて、性海寺四天王像に関する最古の記録は、元禄12年の『由来記』で、本書によれば「四天王像、仏工運慶彫削」とされるが、作者に関する記事の信憑性には問題がある。しかしながら、四天王像の制作年代は、その作風から宝塔・須弥壇の制作された弘安4年頃と考えることができ、宝塔を守護する四天王像として制作されたとみられる。
名称
木造四天王立像(モクゾウシテンノウリュウゾウ)
文化財区分
市指定文化財
種別
彫刻
時代
鎌倉
員数
4躯
管理者
性海寺(ショウカイジ)
地区
稲沢
所在地
稲沢市大塚南一丁目
指定・登録日
平成11年11月1日指定
平成18年:保存修理