稲沢のむかしばなし 大塚と性海寺(稲沢市大塚町)
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いまから1,200年ほど前。空海という、えらいおぼうさんがいました。人々は、弘法さまとよび、書道の名人としても、ゆうめいです。
また、ことわざにも、“弘法も筆のあやまり”というのが、のこっているほどです。
むかし、京都の東寺にすんでみえた弘法さまが、熱田神宮へ、おまいりに行かれたそうです。京からのとちゅう、いまの大塚町へさしかかったときのこと。草むらの中から、みすぼらしい・おじいさんが、きゅうにあらわれた。
「もしもし弘法さま、あなたは、前々から、けしきのよい・しずかなところを、さがしてみえますね。そして、そこへ仏教をしゅぎょうする寺をつくって、人々をたすけようとしていなさる。
それなら、お寺をつくるところは、ここしかない。ここへ、そのお寺をつくりなさい」
ことばがおわるとともに、おじいさんは、スウッーと、きえてしまった。
「・・・おじいさん!おじいさん!――――いまの人は、みすぼらしいかっこうをされていたが、あれは仏さまが、みをかえて、このよにあらわれてみえたのだ。ああ、もったいない、もったいない」
弘法さまは、おじいさんがあらわれたほうがくにむかって、手を合わせました。数年後のこと。弘法さまは、おじいさんとであったところに、寺をたてた。弘法さまは、この寺を“性海寺”と名づけられました。
そして、この寺に“おしょうでんさま”とよばれる仏さまを、おむかえになった。“おしょうでんさま”は、頭がゾウ、体は人間のすがたをされた、インドの仏さまです。
おいのりすれば、びょう気やさいなんがなくなり、すべての人々が、なかよくくらせると、いわれています。
たいへんありがたい仏さまなので、ふつうの人が見ると、しつれいになる。そこで、弘法さまは、土を小高くもりあげた塚をつくって、“おしょうでんさま”をここにしまわれました。
この塚が、このちかくにない大きな塚だったので、性海寺のあたりを大塚とよぶようになった。
また、弘法さまは、性海寺に、“あいぜんさま”といわれる仏像をほって、おまつりになられた、ということです。
この性海寺には多宝塔や本堂をはじめ、いくつかの重要文化財がある。