稲沢のむかしばなし 砂山の化かし狐(祖父江町沼山)
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この年寄りが、明治20年生まれの母親に聞いた話をしようかのぅ。長岡村馬飼で生まれた母親が小さいときのことじゃ。
暑い夏のお昼すぎ、お盆のご馳走の材料を買いに両親といっしょに祖父江の新町へ出かけましたんじゃ。父さまはご膳篭を持ち、私は母さまに手を引かれましてな。木曽川から別れた佐屋川を拾町野の渡し舟で祖父江側に渡り、歩きにくい砂山をエッチラ、オッチラ歩いて、やっとのことで砂山を越え、松山を過ぎ、宮田用水の橋を渡って、八神街道へ入り、薬師堂で「マンマンチャン、アン」とお詣りをして、やっとここで一休みをしましたんじゃ。ここまで来ると、少し先に新町が見えましてな。父さまも母さまも、汗をふきながらニコニコしておみえでした。
新町では、あちらのお店屋こちらのお店屋といくつも回って、お魚や油揚げなどいろんな食べ物を仰山に買い、その外に下駄なども買いましたんじゃ。父さまのご膳篭は蓋がしまらんくらいいっぱいになってしまいました。お店を出ると、あたりはもう薄暗くなりかけていましたんじゃが、それでも父さまは「風呂へ入って、食べて帰ろう」と言われ、すたすたとお風呂屋さんに入って行かれましたんじゃ。母さまと私も続いて入りました。よい気持ちになって、食物屋さんへ入り、おいしいおうどんを食べましたんじゃ。私はお腹がいっぱいになり眠たくなってしまいましてな。帰りは母さまに負さって寝てしまいましたんじゃ。
「さ、帰ろうかの」と、父さまは買い物でいっぱいになったご膳篭を持ち、母さまは私を背負って、暗くなった道をもどられましたんじゃそうな。
松山を越え、砂山に入りザクザクと砂を踏んで進まれましたんじゃが、不思議なことに多くの人が通っているはずの砂の上に足跡が見あたらんし、盆前で月夜のはずなのに薄暗くて前がよう見えんでの、彼方此方と歩き回り、ついに佐屋川の先端の木曽川近くまで来てしまわれましたんじゃそうな。
「これは、ひょっとすると狐に化かされたかもしれん」と思われた父さまが、煙草を一服吸われましたんじゃそうな。するとどうでしょう。辺りがだんだん見えるようになってきましたんじゃそうな。ひょいと、ご膳篭を見られたら蓋の紐が引きちぎられて中に入っていた食べ物が食いあらされて散らばっていましたんじゃそうな。「やいやい、やられてしまったわい」「ほんに化かされて大変な目に合ってしまいましたね」と散らばった物を集められましたそうな。でも私は、まだのんきに寝ていたんですの。
父さまは、今居る場所を確かめ「佐屋川の先っぽまで来てしまったようだ。渡し場まで下ろう」と言われ、また砂の上を歩かれましたそうな。
渡し場で、向こう岸の船頭さんの家の方へ大声で舟をたのまれましたそうな。すると、その声を聞きつけた船頭さんが舟で迎えにきてくれましたげな。私はそのころになってやっと目が覚めたんですの。拾町野へ船で送ってもらい、やっとのことで家にたどり着きましたんじゃ。
家では、いつまでたっても帰ってこんので近所の人たちまで集まって大騒ぎになっていましてな。みなさんは三人の顔を見て、やっと安心して「疲れただろうに。先ず、お風呂へ入って汗を流すこった」とぬるくなった風呂を焚いてくださいましたんじゃ。父さまはみなさんにお礼を申し上げられましてな、「ひどい目にあった。ああ疲れたわい」と風呂へお入りになり、床へつかれました。私は母さまと湯船に入り、「狐は、どうやって化かすの?」ってたずねましたら「昔から、狐が人間の足の間をしっぽでコソコソさわると、人は化かされるって言われているのよ」と教えてくださいました
「ええっ!そうやって化かすの」ってビックリしていましたら「コケコッコー」と一番鶏が鳴きましたんですの。
今では、佐屋川はなくなって拾町野の渡し場も何処にあったのか知っている人も少なくなってしまって、あの化かし狐たちもとうの昔におらんようになってしまったなあ…。
おしまい。