稲沢のむかしばなし 越前ゆり(稲沢市附島町)
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むかし、伊吹山から、さむい風がふきはじめると、北陸のお百しょうさんが、濃尾平野をめざして出かせぎにやって来ました。
村の人たちは、こうしてやって来る人たちを「越前どの」とか「越前こじき」とかよんでいました。
これは、越前どのがつれてきた一人むすめが、死んだ後にさいた白いゆりのお話です。
ある年の冬のこと。
北陸は雪が多くて、まずしい農家は仕事がなく、その日のくらしにこまっていました。仕事をさがすため、男だけで出かけるもの、家ぞくそろって出かけるものもいました。
「わぁーい、越前どのが来たぞー」と、村の子どもがはやしたてました。
やって来た越前どのは、さっそく仕事さがしです。
男は、庭の手入れをしたり、木を切ってマキをつくったりして、はたらきました。
女は、地主様のほかはまずしい家が多かったのでなかなか仕事がみつかりませんでした。しかたなく、一けん一けんと家をたずねて物ごいをするのでした。
そんな越前どのの中に、一人の小さな女の子をつれた一家がいました。
さいわい、お父さんは地主様にやとわれました。でも、この冬はめずらしくこの地方も雪がつもり、母と女の子の物ごいもおもうようにはできませんでした。
「お母さん、さむいヨー」と、女の子は手に息をかけながら、次の家へとついてまわりました。
そんなことがたたったのか、女の子はカゼをひいて、外へ出かけられなくなり、神社のわきにたてられた、わら小屋でねている日がつづきました。
そのカゼがもとで女の子は、今でいう肺炎(はいえん)になってしまったのです。色の白い女の子のほほは、まっ赤になり、高いねつであらい息をしていました。「お父さん、この子すごいねつだよ」お母さんはつめたい手ぬぐいでひやしていました。
「あついよー。あついよー」と女の子はさけんでいました。
お父さんは、あわてて町まで、お医者さんをよびに行きました。
お母さんは、このままではたいへんと、近くの家にたのんで、いろりのそばにねかせてもらいました。
夕方になって、風がふき、やがて、ひどいふぶきになりました。
遠い町まで、お医者さんをよびにいったお父さんは、帰れそうにありません。
女の子のねつは、いっこうに下がりません。
お母さんは、「がんばるんだよ、もうすぐお医者さんが来るからね」と、はげましながら、手ぬぐいを水にひやして、ひたいにのせてあげました。
「神様、この子をたすけてください。わたしのいのちと引きかえでもかまいません」お母さんは、心の中でいのりました。
女の子は、少し落ちついたのか、しずかにねむっているようでした。
どのくらい時間がたったのでしょうか、お母さんは、かん病のつかれで、うとうとしていました。
ふと、女の子の顔を見ると、急に、ほほが白いろうそくのような色にかわってゆくではありませんか・・・・・・
お母さんは、はっと息をのみました。
女の子は、「お母さん、お母さん、ユリが・・・・・・白いユリ・・・・・・」とつぶやくと、息をひきとりました。
次の日の朝は、よく晴れていました。
女の子のさみしいとむらいがあり、「さんまえ」(今の火そう場)にうめられました。
越前どのが帰った年の夏、そのあたりにまっ白なユリがさきました。どのユリも、北陸の方を向いていました。
村の人たちは、このユリを「越前ゆり」と、よんだそうです。