稲沢のむかしばなし やつおもてのオニ(稲沢市高重町)
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大里西小学校の南のあたりを、高重といいます。高重町のまわりには、工場が立ちならび、稲沢の工業地帯となっています。むかし、まだ高重町の東の方が、森だったころのお話です。
ずーとむかしの話です。高重村の東の方は森になっており、8ピキのオニがすんでいました。この中でも、顔を八つもつオニが大将だった。
オニたちは、道ゆく人を、なやまし、くるしめた。弥次さんも、そのひとり。
弥次さんが、京のミヤコから帰るときのこと。ちょうど、このあたりに来ると、目の前がきゅうに赤くなった。・・・・・赤オニがそこに立っていたのです。「ギョッ!」とまわりを見れば、なんと8ピキのオニに、かこまれています。弥次さんは、コシをぬかしてしまい、オニたちのされるまま。みぐるみはがされ、フンドシひとつで、高重村までたどりついた、とか。
また、オニたちは、ちかくの村をおそって、たのしんでいたそうです。こんなことから、オニたちは、人々からこわがられ、おそれられました。だれいうとなく、「人くいオニ、人くいオニ」と、オニたちをよんでいたそうな。
ある日のこと。
村で、いちばんゆうきのある甚作が、オニたちと話し合いに出かけた。
「オニさン、オニさん。あなたは、どうして人々をくるしめて、たのしんでみえるのですか」
オニは答えた。
「ワシのすがたを見るがよい。この、みにくいすがたを。この生きるくるしみが、おまえにわかるか」
ほかのオニがいった。
「むかしは、ワシらもよきことをしてきた。ところが、村人は、それをみとめてくれない。ワシらのすがたをみて、みなにげてしまう。だから、人々をにくむようになったんじゃ。―ほんに、ごうがわく(はらがたつ)。のお、みなのしゅう。」
うわさは、たちまち京のミヤコまでつたわった。これを聞いた源義成というおサムライが、オニをたいじするため、高重村にやって来た。
義成は、桃太郎よろしく、手下のオニを、バッタ・バッタと切りすてた。しかし、大将のオニだけは、しょうぶがつかない。なにせ、オニは、八つも顔をもっているし、しんちょうは3mもあるほどだ。
二日のあいだ、たたかったが、しょうぶはつかなかった。このままでは、力つきてまけそうな義成―。
「オニよ。おまえも、大将なら、スゴロクでしょうぶをきめよう」
まず、サイコロをふるのはオニ。力いっぱいサイコロをふると、サイコロは、スゴロクの紙の外へ、とんでいってしまいました。オニは、サイコロをふるたびに、紙の外へ・・・・・。オニは、むきになって、力いっぱいサイコロをふりました。
このあいだに義成は、トントンびょうしに上がってしまった。
オニは、オイオイとなきだし、
「これからは、村人のためにはたらいて、生きていくでなも。へこたれて(うたかれはてて)、もう力がでん」といった。
こうしてオニは、村人のために、はたらきつづけたということじゃ。
めでたし、めでたし。