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あしあと

    市長コラム(令和4年度)

    • [更新日:]
    • ID:1654

    令和5年3月

    令和4年度も年度末の3月を迎えました。
    年が改まり令和5年となって、市長として行う最大の仕事は令和5年度の当初予算編成です。日本の地方自治体の予算は、ご存じのように単年度主義、そして総計予算主義といって「一会計年度における一切の収入および支出は、すべてこれを歳入歳出予算に編入しなければならない。」と地方自治法第210条に規定されていますので、必然的に一年間の経費、さまざまな施策について細かく査定することになります。各部各課から上がってくる予算要求を財政課が精査し、その後総務部長査定が年末まで行われます。本市の場合、市議会議員の皆さんに対し「会派別予算説明会」を1月上中旬に実施し、ご意見を賜ります。
    その後市長査定が始まります。市長査定は総務部長査定で保留になった事業や新規拡充事業、市長の想いを実現するような事業について行います。当然、歳出の具体的な額を決めていく作業は、当年度の歳入の見込みや財政調整基金からの繰入額等も見極めながらの作業となります。財源のない予算はなく、歳入歳出は同額となりますので、健全な財政を維持しようとすればするほど、税収や基金の額に注意を払い続けなくてはなりません。
    本市には一般会計、4つの特別会計(国民健康保険、介護保険、後期高齢者医療、稲沢西土地区画整理事業)および4つの企業会計(病院事業、水道事業、公共下水道事業、集落排水事業)があります。

    令和5年度当初予算案では

    一般会計 491億5000万円(前年度比5.0%増)

    特別会計 270億 400万円(同 0.4%減)

    企業会計 186億6297万円(同 1.9%減)

    総額 948億1697万円(同 2.0%増)

    となりました。

    いずれの予算も、本市の抱える課題や現下の国民生活の課題に対し正面から向き合い、できる範囲で市民のことを最優先に考えてのものであります。3月定例市議会に提案させていただきます。
    施策の具体的内容につきましては、市広報、ホームページ、各種会合の折にでもお話し申し上げますが、市民生活を一歩でも前に進めるべく全力で編成した予算であります。どうか市民の皆さんにおかれましては安心して市内でお暮しになられますようお願いします。

    令和5年2月

    2月3日、3年ぶりに国府宮はだか祭が行われることになります。
    コロナ禍に翻弄され、本来のはだか男のもみ合いのない神事が2年間行われました。一糸まとわぬ神男(しんおとこ)に触れて厄を落とそうとするはだか男たちが殺到し渦ができ、地元正明寺の桶隊の屈強な男たちが水をかけると湯気になって立ち上るあのはだか祭が帰ってくるのです。稲沢が最も稲沢らしくなる一日でもあります。
    今回は本市の姉妹都市のギリシャ共和国オリンピア市からゲオルギオプロス市長をはじめとする5人の訪問団が来日されます。また,ディミトリオス・カラミツォス-ジラス駐日ギリシャ共和国特命全権大使ご夫妻も来訪されることが決まっています。稲沢市自慢の長い歴史を誇る民俗文化をご覧いただける絶好のチャンスですので、万全の体制でお迎えし、おもてなしをしたいと考えています。
    ギリシャ哲学を研究しておみえになった南山大学の故国分敬治名誉教授に、古代オリンピック競技会が、はだか祭の神男と同じく一糸まとわぬ姿で行われていたという共通点から、姉妹都市の縁組をしていただきました。当時の住田隆市長が1987年8月にオリンピア市のヘラ神殿の前で調印式をされてからもう35年以上の歳月が流れています。
    さて、当日の天気がどうなるかわかりませんが、この地方ではこの日に吹く強い北西の風を「なおい風」と呼び、まつりが終わると春が来ると言い伝えられています。
    ちょうど今年は開催の日が節分当日です。季節を分けるその日を境に春らしい陽気が戻ってきて人々の心が温かいものになることを願っています。
    時あたかも、政府がコロナウイルス感染症を2類相当から5類へ引き下げることを5月8日からと決定したとの報道がある時期です。まつりをきっかけにコロナウイルスが社会と共存していても恐怖を感じない新しい時代が来ることを念願し、2月のコラムといたします。

    令和5年1月

    市民の皆さん、あけましておめでとうございます。
    輝かしい令和5年の新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。
    昨年を表す漢字一字は「戦」でした。ロシアによるウクライナ侵攻は年初には誰も予想だにしていなかったことで、核を保有する超大国、それも国連の安全保障理事会常任理事国が他国へ侵略するとは、未来が予想できない不確実性の時代の代名詞のような出来事です。あれ以来ウクライナの人々は枕を高くして眠ることができているのでしょうか。
    今月は枕の話をさせていただきます。
    枕(まくら)の語源は「魂蔵(たまくら)」だという説があるように、古代人にとっての枕は魂(たましい)の入れ物、もしくは魂が宿るものであったようです。祖母から枕を踏んだり蹴ったり粗末に扱うと怒られたのもそのような背景があったのかもしれないと思います。
    落語の「まくら」は本題に入る前の短い話のことを言い、構成する3つの要素「まくら」「本編」「オチ」の一つで、本編の出来を左右する重要な位置を占めています。落語家は本編に関係することを話し、本題に入りやすい状態に気持ちをほぐすのだそうです。まくらはその世界では「話す」のではなく「振る」というそうで、まずはお客様を振り向かせるということなのではないかと思われます。ではなぜまくらというか、落語の頭の部分についているからなのでしょうね。和歌の頭の部分につくのを「枕詞」というのと同じ用例なのでしょう。
    枕詞について一度は書いてみたいと思っていました。「ちはやぶる」は神にかかり、「あしひきの」は山にかかり、「ぬばたまの」は夜にかかるという昔古典の授業で習ったアレです。
    枕詞は古い昔の和歌などに使われる修辞の一つで、ある特定の言葉にかかり装飾的に使われたり連想の効果により味わいを深めたりするものです。しかし今ではどうしてこの言葉にこの枕詞がと、かかる理由がわからなくなってしまったものもあります。
    例えば「あしひきの」がどういう意味で枕詞となったのか、説がいくつもあります。曰く「大和の山の稜線はなだらかである」「山に登るときは疲れて足を引きずるように歩く」「足疾、などの文字があてられた例があるように山の神は足が悪い、または一本足だ」『「あしひきの」は「会わし引くいの」であり夏の山などに女子を誘い男女の関係を結ぶ』。私にはこの辺りに非常に長い歴史を持つ日本語の秘密に迫る部分があるのではないかと思われてなりません。
    さあ、枕の話、いかがだったでしょうか。お正月です。枕の下に宝船の絵でも敷いて良い初夢でも見ることにしましょう。

    令和4年12月

    コロナ禍中に三度目の師走を迎えることになりました。新型コロナウイルス感染症流行第8波に入ったといわれています。しかし、コロナウイルスの本質を知ったとまでは言えないかもしれませんが、多くの人々がコロナを経験しそれと共存するすべを身につけ始めているといっても過言ではないでしょう。
    一方でコロナ禍が後押しをしてすすんだ分野があります。市役所や行政手続きのデジタル化です。もともと日本はこの分野で先進国に後れを取っていました。国はマイナンバーカードの取得促進策をさまざまなメニューで用意して、ほぼすべての国民に今年度(令和4年度)末までに行き渡らせようとしています。もちろん行政手続きに個人認証は必要になりますので、マイナンバーカードの普及促進は喫緊の課題と考えていますが、我々多くの市町村の首長はマイナンバーカードの普及率をもって交付税や地方への交付金の額に反映させることに反対の立場を表明しています。
    さて皆さんはエストニア共和国のことをご存じですか。バルト三国のうちの一つで人口約132万人、面積は九州と同じぐらいの小国です。しかしエストニアは最先端の「電子国家」として知られています。98%の人が電子IDカードを持ち、行政サービスの99%が電子化されているともいわれ、できないことは「結婚」「離婚」「不動産売買」の3つだけともいわれます。
    さすがに酒を飲んでの夫婦喧嘩の勢いで「オンライン離婚」では困りますからこの3つは電子化できないということも理解できます。
    法人登記は数時間、納税手続きも簡単で確定申告は数分間で終わるということだそうです。世界中がコロナパンデミックで機能不全に陥っていた中、エストニアは行政サービスの水準も、経済活動もコロナ前後でほぼ変わらなかったそうです。
    翻って日本はどうでしょうか、いろいろな調査でも日本は世界の最高水準には及ばない。特に「デジタル行政アプリを使う市民の割合」はエストニアの99%に遠く及ばず、我が国は7.5%に留まっています。
    本市も行政サービスのデジタル化を急速に進めてまいります。究極は来庁しなくても手続きが完了する、あるいは市役所でも細かい記入欄にびっしり文字を書くことは最小限にするいわゆる「書かない窓口」を目指していきます。市民の皆さん、本市の新しい年に向けての取り組みにご注目ください。

    令和4年11月

    11月1日は稲沢市の64回目の市制記念日ですが、同じ11月1日に愛・地球博記念公園内にオープンするのが「ジブリパーク」です。「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などの大ヒットアニメを数多く制作している「スタジオジブリ」の世界観を体験できるテーマパークです。
    10月のある日、内覧会に出かけたのですが、「ジブリの大倉庫」内にある「オリヲン座」という映像展示室で観た「くじらとり」という短編アニメ映画が私の心を揺り動かしました。ちゅーりっぷ保育園ほしぐみの男の子たちは積み木で船を作り「ぞうとらいおんまる」と名付けました。園内なのですが船のまわりはしだいに海となり、船は出航します。男の子たちは、浸水や嵐などのアクシデントを乗り越え、ついにくじらを捕まえます。そして保育園に連れて帰るのですが、園児たちは陸に上がったくじらに花輪をかぶせ、記念に全員で写真を撮ります。そしてくじらは園児たちに見送られ大海原に帰って行くのです。
    積み木の船のまわりに海水が入ってくるところから現実は虚構(フィクション)の世界に入って行きます。フィクションが現実を震撼させる一瞬といっても良いでしょう。
    ヒトは約7万年前「現実には存在しないフィクションを信じ、語ることのできる能力」を身につけたとユヴァル・ノア・ハラリは「サピエンス全史」の中で語っています。人類はこのフィクションを信じる力によって多くの人が協力できるようになり、体格も大きく脳の体積も大きかったネアンデルタール人を駆逐することが出来たといいます。
    「くじらとり」の16分のアニメはこの説を私の腹にしっかりと落としてくれました。子どもの夢のような話ですが誰でもすんなりと話の中に入って行くことができる、私たちの虚構(フィクション)を信じる力がそうさせるのです。
    私はスッキリした気分でオリヲン座を後にしました。

    令和4年10月

    9月10日の中秋の名月もあり、先月は月について思いめぐらす機会が多くありました。また久しぶりに名月を拝むことができ日本人が昔から感じていた喜びを感じることができました。
    また、「アポロ計画」以来長い年月を経て、人類を再び月に降り立たせようとする「アルテミス計画」が動き出したという報道にも接しました。
    アルテミスはギリシャ神話のオリンポス十二神の一柱であり、処女神、狩猟の女神、月の女神であり、音楽、芸能、太陽の男神アポロンとは双子であることから「アポロ計画」に続くビッグプロジェクトに「アルテミス計画」との名がつけられたのも当然といえば当然のことだと思いました。
    そして、私にとってアルテミスとの新しい出会いがありました。昨年亡くなった立花隆氏の本で、一度読みたいと思っていた「エーゲ 永遠回帰の海」という本を買うことができ、美しい写真とともに本市と深い関係のあるギリシャを中心とするエーゲ海をぐるりと回る旅を体験したような気分になれたのですが、その中で彼に「衝撃的な出会い」と言わしめた「エフェソスのアルテミス像」のことを知ったのは、私にとっても、立花氏の言葉を借りれば「雷に打たれ、背筋に電流が走ったかのような思いがする瞬間」でした。彼のように実物を見ていないのですが、その奇怪な姿(胸部には乳房状の物体がぎっしり覆っており、その下には神話上の怪獣のレリーフがこれもまた3匹ずつ6段に渡ってついている)もさることながら、その大きさは現在観ることができるものとは比べ物にならないほど大きかったそうです。このアルテミス像はギリシャ神話のそれではなく、小アジア地域(エフェソスはトルコにある)ではるか昔から信仰されていた地母神がギリシャ文明と接触することでできたギリシャ伝統のアルテミスとは全く別の神であることがわかりました。
    いろいろなことを知り、ピラミッドなどと並ぶ古代世界の七不思議のひとつ、エフェソスのアルテミス神殿がどうしても行きたいところに加わり、私にとって退職後の旅先が増えました。
    さて、今回、月の話→有人月面探査「アルテミス計画」→ギリシャ神話のアルテミス→エフェソスのアルテミス像と立花隆氏の媒介によって発想は思わぬところへ広がりましたが、古代エーゲ海世界の神話や文化の豊饒さを改めて思い知らされました。

    令和4年9月

    今年も新型コロナウイルス感染症と、地球温暖化による集中豪雨の報道で夏が過ぎていきました。
    お盆休みの読書で、京都大学こころの未来研究センター教授広井良典氏の「無と意識の人類史 私たちはどこへ向かうのか」を課題図書といたしました。課題図書の記述に従い私の問題意識とともに見ていきましょう。
    「新型コロナ・パンデミックと気候変動という二者は、一見まったく独立した現象であるようにも見えるが、いずれもその根底に、人間と自然あるいは生態系との間にある種の根本的な不協和が生じていることを示唆している。」コロナを大局的にとらえた文章です。
    新型コロナのみならずサル痘なども話題になりましたが、「人獣共通感染症(zoonosis)という言葉があり、これは要するに野生動物等と人間に共通の感染症ということである。こうした人獣共通感染症が近年増加しているのだが、その主な原因として熱帯雨林などの森林が急速に減少している点が挙げられることが、近年の研究から示されるようになっている。つまり森林が減少し、そこでの生物多様性が損なわれるとともに、ウイルスを保有する動物の密度が増加するなどし、結果として感染症が発生しやすくなるということだ。」とも述べています。新型コロナ感染症の発生原因は明らかになっていませんが、気候変動とも関係しているという論説に興味を覚えます。
    さて、19日は敬老の日ですし、今月は敬老月間でもあります。
    スウェーデンのトーンスタムという社会学者の「老年的超越」というコンセプトへの記述について見てみたいと思います。それによりますと80代ないし90代以降の高齢者においては、それまでとは異なる意識の変化が生じ、「物質主義的で合理的な世界観から、宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化」が起こるとされています。日本の学者による調査においては「超越」という点はやや薄い一方、先祖や未来の子孫とのつながりの意識の強まりや、「あるがままを受け入れる」「自然の流れに任せる」「他者への依存を肯定する」といった傾向がみられるようです。
    92歳の母と同居していますが、超越的で非合理的な言説に毎日悩まされています。しかし、これは90を超えた高齢者にはふつうにみられる態度なのだと納得がいきました。
    お盆休みの課題図書は私にさまざまな気付きを与えてくれました。

    令和4年8月

    少子化の流れが止まりません。
    6月に発表された令和3年に生まれた新生児の数は約81万人、一方で亡くなられた方の数は約143万人、差し引き62万人強、一年間で鳥取県の総人口以上の人がこの国から失われたことになります。
    国立社会保障人口問題研究所の試算では出生数が82万人となるのは2027年と予想されていて6年前倒しで少子化、人口減少が進んだことになります。
    他方で合計特殊出生率は1.3となったとも報じられました。女性が一生の間に出産する赤ちゃんの数は平均すると1.3人だということです。これはほぼ4人に3人が結婚し、結婚したカップルは、近年やや低下傾向にありますが約2人の子供をもうけることを意味します。
    また、晩産化も顕著で第一子出産年齢は平均30.9歳、これまでで最も高くなっています。
    抜本的な少子化対策について考えるところですが、我が国は先の大戦中の「産めよ殖やせよ」という国策に対する強い反省から、結婚や出産は個人の自由意思で決めることであり、国や他の人から言われて決めることではないとしてきました。
    令和2年5月に政府が策定した「少子化社会対策大綱~新しい令和の時代にふさわしい少子化対策へ~」の中で少子化の主な原因は、未婚化、晩婚化と、有配偶出生率の低下であるとしています。また、「これまでも幼児教育・保育の無償化や高等教育の就学支援など、子育て支援を拡充してきたところであるが、引き続き今行っている施策の効果を検証しつつ、こうした希望の実現を阻む隘路の打破に強力に取り組み、個々人の希望の実現を後押しするとともに、結婚、妊娠・出産、子育てに希望を持つことができる環境づくりに取り組むことで、多くの人が、家族を持つことや、子供を産み育てることの喜びや楽しさを実感できる社会をつくる必要がある。」と述べており、結婚、妊娠・出産についてこれまでより一歩踏み込んだ表現になっていて、政府もようやく気づいてくれたのかと思います。
    不妊治療への助成など、地方がその独自の施策で出生数を上げることは可能ですが、その数には限りがあります。抜本的解決策は、国の啓蒙の力によるところが大きいのです。現在の出生数は25年後の社会保障の基本となる数となります。地方自治体の長として非常に強い危機感を抱いていることを、皆さんにご理解いただきたいと思います。

    令和4年7月

    もうすぐ蝉しぐれの季節がやってきます。
    藤沢周平の「蝉しぐれ」を思い出します。私と藤沢周平の出会いは「漆の実のみのる国」を手に取ったことから始まりました。同書は上杉鷹山の米沢藩における治世を描いたもので、平成9年の刊行です。周平の没後すぐのことです。当時書店には「藤沢周平追悼コーナー」のようなものができており、米国第35代大統領ジョン・F・ケネディが就任時のインタビューで「日本人でいちばん尊敬する人物は」と聞かれ上杉鷹山と答えたという話などもあって、その本を読んだ記憶があります。
    中学校の国語教師を務める同級生の勧めもあって周平の時代小説を読むようになりました。そのなかで最も印象深かったのが「蝉しぐれ」です。架空の藩「海坂藩」を舞台に、主人公牧文四郎と、幼なじみ「ふく」との関係を軸に、同年代の友との剣術の稽古と交流、父の死、お家騒動などが描かれていてもさわやかな読後感を残す時代小説です。
    一時は中学校の国語教科書にも取り上げられていて、日本の時代小説の最高傑作のひとつという評論家もいるほどです。私がこの小説が好きな理由の一つに自然描写のすばらしさがあります。以下に平成14年から平成17年にかけて光村図書の国語教科書に掲載された「蝉しぐれ」の一部を引用します。
    「(前略)文四郎は小川の向こう側に広がる田んぼを見た。
    一面の青い田んぼは早朝の日差しを受けて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接する辺りには、まだ夜の名残の霧が残っていた。じっと動かない霧も、朝の光を受けてかすかに赤らんで見える。そしてこの早い時刻に、もう田んぼを見回っている人間がいた。黒い人影はひざの上あたりまで稲に埋もれながら、ゆっくり遠ざかっていく。頭上のけやきの葉陰の辺りでにいにい蝉が鳴いている。快さに文四郎は、ほんのつかの間放心していたようだった。(後略)」
    海坂藩の下級武士の住む組屋敷とその隣に広がる水田、またその奥の森、水田には勤勉な百姓、日本の原風景ともいえる早朝の景色です。
    小説には「秋が深まり」とあるので台風による大雨かもしれませんが、川に水があふれ、堤防をどこかで切開して田んぼを守ろうとする場面があります。文四郎の父、助左衛門が暴風雨の中をとっさの判断で上申し、田んぼを守ることに成功します。主人公が日ごろ寡黙な父を尊敬する場面です。
    例年にない早さで梅雨が明けましたが、盛夏の日本にも夏らしい自然の景色があります。しかし、時には台風に伴う豪雨などで、我々に対して牙をむいてくることもあります。ご注意ください。

    令和4年6月

    ゴールデンウィークの一日、清須市のあいち朝日遺跡ミュージアムで行われている企画展「一色青海(いっしきあおかい)遺跡-100年の弥生ムラー」を観てきました。
    今から約2400年前、縄文時代晩期に、水田での米作りや鉄、青銅器等金属加工の技術が伝来しました。ミュージアムのある朝日遺跡は、時代的には紀元前3世紀から紀元後3世紀まで続く弥生時代の代表的な遺跡で、東西約1.4km、南北約0.8kmに及ぶ広大な面積を誇ります。遺跡の範囲からは住居跡、墓などが見つかっており、静岡県登呂遺跡、佐賀県吉野ケ里遺跡に匹敵する巨大な古代集落跡だと言ってもいいでしょう。その朝日遺跡ミュージアムで一色青海遺跡からの出土物の展覧会がなぜ行われたのでしょうか。また私がなぜ興味をもって出かけたのでしょうか。
    企画展の開催の理由は、その出土物の多彩さがあげられるでしょう。特に平成21年に出土した「鹿の絵の土器」、橋本裕行氏によると弥生時代の絵画土器は600例ほどあり、そのうち4割が鹿の絵だそうです。しかし、鹿の絵のみならず、これまでの絵画土器のほとんどが線刻によるものであり、その上に顔料を塗ったものは(「鹿の絵の土器」の鹿にはベンガラが塗られている)福岡県出土の甕棺の口縁部付近に描かれた一例のみで非常に珍しいことがあげられます。
    それ以外にも木器の未完成品や、編組(へんそ)製品(カゴなどの編み物)が比較的完全に残っているなど注目に値する出土物があります。
    また、一色青海遺跡は、市内にある「日光川上流浄化センター」の施設建設にともなって出土した遺跡であること。平成15年の調査で確認された掘立柱建物が南北(桁行)17.6m、東西(梁間)5.1m、床面積89.3㎡を誇る巨大なもので、弥生中期後葉としては、東日本で最大級の掘立柱建物であったこと。私がその現地説明会に実際に参加して建物の大きさを実感していることも私が出かけた理由の一つです。
    さて、そのような市内に存在し、今では施設の下で眠っている遺跡の詳細を6月26日まで朝日遺跡ミュージアムで観ることができます。是非お出かけいただき、弥生時代の稲沢に思いを馳せてもらいたいと思います。

    令和4年5月

    5月5日はこどもの日です。
    今心配されるのは、コロナ禍により出生数が激減していることです。子供は一層「国の宝」といってもいい存在となりました。
    さて、「七歳までは神のうち」とか「七つ前は神のうち」という言葉がかつてこの国にあったことを最近知りました。簡単に言えば「七歳まではいつ死んでもおかしくない」という意味です。医療が発達していなかった時代、幼児の死亡率は高く、私の祖母は「子半分」と昔は言ったものだと語っていました。生まれた子供は半分ぐらい成人すればいい方だということです。明治に生まれ大正、昭和の初めに出産子育てした祖母の実感だろうと想像していました。事実、父の兄弟は何人も生まれましたが、私が知っている叔母は4人で父を含めて5人兄弟でした。
    一方で江戸時代、貧しい農村では口減らしのためにいわゆる「子殺し」が習慣的に行われていたともいわれます。「七歳までは神のうち」は一種の免罪符のような言葉なのかもしれません。
    現代の日本でも児童を虐待死させる事件が後を絶ちません。子供を保護するさまざまなシステムが完備されていると思われるこの日本においてもこうなのです。

    1994年に日本も批准したユニセフの「子どもの権利条約」には4つの原則が示されています。

    1. 生命・生存および発達に関する権利(命を守られ成長できること)
    2. 子供の最善の利益(子どもにとって最も良いこと)
    3. 子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)
    4. 差別の禁止(差別のないこと)

    1に示された大原則すら守れない親がいることに怒りすら覚えますが、子は親の所有物ではなく生きる権利や未来を奪われるべきではないと強く申し上げておきたいと思います。
    コロナ禍等もあり結婚、出産をためらう方も多いとは思いますが、私たち行政に携わるものも「子どもは国の宝」を肝に銘じて、さまざまな子育て・教育施策を展開していきたいと考えていますので、どうか稲沢の子育て・教育支援策にご理解、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。

    令和4年4月

    4月の初旬に行われる予定だった平和と国府宮参道の桜まつりは、残念ながらコロナ禍により中止になりました。桜は日本人の好む花の一つ、いや最も好きな花だといってもいいのでとてもさみしい気がします。
    一方で、桜には開花して一週間で満開になり、その後数日で散り始めるというその潔さから、武士道や軍人精神と絡めて語られる風潮が以前からありました。軍歌にも「同期の桜」や万朶(ばんだ)の桜か襟の色で始まる「歩兵の本領」などがあり、桜は色濃く軍国主義と結びついて思い起こされます。
    桜といえば次のような歌も思い出されます。「しき嶋の やまとごころを人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花」本居宣長六十一歳自画自賛像に、筆のついでにと寄せられた歌で、太平洋戦争時には愛国百人一首の一つにも選ばれ盛んに引用されました。また神風特別攻撃隊には「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」と名付けられた隊もあったそうです。
    そんな宣長の歌ですが、真意は「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。」つまり一般論としての「大和心」を述べたのではなく、どこまでも宣長自身の心なのです。(本居宣長記念館)
    桜と日本の軍国主義の不幸な結びつきについて述べてきましたが、ロシア軍の侵攻におびえるウクライナの人々の悲痛な表情が目に浮かびます。
    ロシアの武力による一方的な現状変更は断じて許すことはできません。ウクライナの国花を調べていたら「セイヨウカンボク」と「スミミザクラ」だということを知りました。「スミミザクラ」はもちろん桜の一種で実をつけ、その実はあまりに酸っぱいためそのまま食べることはできないようですが、調理には使われるそうです。
    我が国の桜の話から、軍国主義との関係、ロシアのウクライナ侵攻、そしてウクライナの国花の話まで進みました。もう私の言いたいことはお判りでしょう。日本ではコロナ禍が早く収束してみんなで「花見」ができることを、そして、ウクライナでは早く戦火が止み、落ち着いた心で「スミミザクラ」を眺めることができる日常を取り戻してほしいと祈っています。

    〒492-8269 愛知県稲沢市稲府町1
    開庁時間 月曜から金曜 午前8時30分から午後5時15分まで
    (祝日、休日、年末年始を除く。一部、開庁時間が異なる組織、施設があります)
    代表電話:0587-32-1111 ファクス:0587-23-1489
    法人番号:7000020232203

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