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    市長あいさつ(令和3年度)

    • [更新日:]
    • ID:1653

    令和4年3月

    一年を振り返り来年度に向けての構想を練る年度納めの3月です。そこで令和3年度を振り返ってみようと思います。
    年度始めの4月、コロナウイルス感染症は比較的おさまっていましたので、一年延期になっていました東京2020オリンピックの聖火リレーも4月5日に稲沢の地で行うことができました。前年に姉妹都市であるギリシャ共和国オリンピア市で聖火ランナーとして走る予定だった市内の高校生が、念願を叶え国府宮の参道を駆けることができました。しかし、その後感染は拡大し4月20日から5月11日までまん延防止等重点措置が発令され、それでも感染はさらに拡大し5月12日から結果的には6月20日まで緊急事態宣言が発令されました。そしてやや収束に向かった中で東京2020オリンピックは開催されましたが、開催期間中も感染者は増え続け稲沢市は8月21日にまん延防止等重点措置区域に、ほどなく同27日から再び緊急事態措置が適用され一度の延長を経て9月30日まで続きました。いわゆる第5波は6月21日から始まったといわれますが、本市では8月26日に第6波が来る前の最多感染者数40人を記録しました。
    不思議なことに緊急事態措置が終了した9月30日の少し前あたりから新規感染者数は急激に減少し10月から年末、令和4年成人の日の3連休ごろまでは平穏な日が続きました。いまだにこの原因が何だったか明確な回答は用意されていませんが、私は全人口の約6割がコロナウイルスワクチンの2回目接種が終了したのが9月末ごろにあたるのでその効果が一番大きかったのではないかと思っています。
    しかし、平穏な時期は長くは続きませんでした。オミクロン株という第5波を引き起こしたデルタ株より格段に感染力が強い変異株が出現したのです。私たちは今、1月21日に発令されたまん延防止等重点措置の中でかつてない感染者の出現と戦っています。小中学校の学年・学級閉鎖、保育園の休園や登園自粛等の措置も行いました。感染は社会機能をも奪っています。経験から学んだことを応用するとすれば3回目のワクチン接種をスピードアップすることこそが行政が今できる最善のことなのでしょう。
    コロナとの闘いの軌跡が令和3年度を振り返ることになってしまいました。4月から始まる令和4年度がウィズコロナでありながらアフターコロナへの第一歩の年になるよう努力することを市民の皆さんにお誓いして3月のあいさつに代えさせていただきます。

    令和4年2月

    2月を迎えましたが国府宮はだか祭のはだか男のもみ合いは今年も行われず、2年続けて例年通りの開催とはなりませんでした。
    今月は、昨年のユーキャン新語流行語大賞のトップ10に選出され、同年の大辞泉が選ぶ新語大賞で大賞を受賞した「親ガチャ」について書いてみたいと思います。
    まず「ガチャ」とは何か、たぶんみなさんもご存知のショッピングセンターやおもちゃ売り場などにおかれているカプセルトイ自動販売機のことで、その中には同一シリーズの数種類の商品が入れられていて、自販機に硬貨を入れレバーを回すと商品が出てきますが、購入者には何が入ったカプセルが出てくるかわからないものです。そのようなことから子どもは親を選ぶことができないが、どんな親の元に生まれてくるかが非常に重要で、家庭環境や遺伝的な外見、能力等によって人生が大きく左右される。そういう状況をネットスラングでは「親ガチャ」と言うそうです。
    先日、週刊誌を読んでいましたら生物学者の福岡伸一さんのコラム「福岡ハカセのパンタレイ パングロス」に年末ジャンボ宝くじの当たる確率と人の生命誕生の確率の話が載っていました。数億の精子と数十万の卵子のうち選ばれし一個が出合い奇跡的に生命は誕生するのです。「あなたが今ここに生きていること、それは数億の精子と数十万の卵子の中から当たりくじを引き当てているからこそのこと、数億×数十万の一の確率である。感謝感激することがあってもゆめゆめ『親ガチャに外れた』なんて言ってはいけない。」と書いておられました。
    年末ジャンボ宝くじの一等当選確率よりもはるかに低い確率で巡り合い誕生した命、そしてさまざまな経験や出会いを通じて、また自らの選択によって人生は変わって行きます。もうすぐ多くの人々にとって出会いと別れの季節である年度末を迎えますが、自ら進んで変化に飛び込んでいきましょう。ほとんどのことは自分の力で変えられるのです。

    令和4年1月

    明けましておめでとうございます。
    市民の皆さんには清々しい初春をお迎えのこととお慶び申し上げます。
    今年は新年から経済の話をしようと思います。経済といえば何を思い出しますか。景気、賃金、物価、株価など人によってさまざまでしょうが、よく十二支によって景気や株価を占うことがあります。今年は寅年、相場の格言では「丑(うし)つまずき、寅千里を走り、卯(う)跳ねる」といわれるそうです。寅は一日で千里を走り千里を帰るといわれるように変化のスピードが早い一年になるかもしれません。
    昨年から気になっていることがあります。半導体不足です。今や「産業のコメ」ともいわれる半導体が世界的に不足することで国内の各産業に深刻な影響が出ています。自動車は昨年春くらいから減産が始まり、東南アジアのサプライチェーンがコロナ禍によって稼働しなかったことが事態にさらに拍車をかけ、新車の納期が大幅に遅れる状況が続きました。自動車に限らず家電、通信機器、産業機械に至るまで半導体がなくては成り立たない製造分野が多いことに国民も改めて気づいたことでしょう。
    一方で菅前内閣が今年6月に策定した「骨太の方針2021」では、デジタル化や脱炭素など4分野に重点を置き半導体を戦略物資と位置付けました。またそのあとをうけて発足した岸田内閣は新たに経済安全保障担当大臣を置きました。経済安全保障という概念の重要性と半導体などの戦略物資の確保が、いかに重要か国が認識した現れだと思っています。
    日本は昨年10月、半導体受託製造の世界最大手TSMC(台湾積体電路製造)の熊本への誘致に成功しましたが、これも政府の2年近くにわたる水面下での厳しい交渉の成果だといわれています。
    さらに、政府は経済安全保障推進法案を今年の通常国会に提出する予定だと聞いていますが、経済安全保障政策にようやく陽が当たるときが来たと私は喜んでいます。
    国民の主食である「米(コメ)」は、半世紀でその消費量は半減したと言われていて今や糖質制限ブームで口にしなくなる人まで出てきていますが、半導体はそうはいきません。世界中の生産個数は1兆個以上とされ、単純計算では1人あたり年間約130個を消費していることになります。現代人の生活がもはやそれなしでは成り立たない重要なものになっています。その意味でも、経済安全保障政策の行方に今年、国民の注目が集まることは確かでしょう。

    令和3年12月

    今年ももう12月、1年納の月となりました。今と違って掛け売りがほとんどだった江戸時代、盆暮れ勘定、特に大晦日をめぐる悲喜こもごもは度々落語等の題材になっています。
    大晦日といえば思い出す落語に「芝浜」があります。
    腕はいいが酒が大好きな魚屋の勝五郎は、酒におぼれてもう二十日も商売に出ていません。前の晩、明日こそ商売に出かけると約束したその日の朝、女房にせかされ魚河岸に出かけると時刻が早くまだ市が開いていない。芝浜の岸で顔を洗おうとすると何かが足にあたる。拾ってみると革の財布、家に帰って女房と一緒に開けてみるとその中には大金が、もうこれで働かなくてもいいと、勝五郎はひと風呂浴び、飲み友だちを呼んで大宴会。前後不覚に陥ってしまいます。
    二日酔いの翌日、目覚めると女房は大酒を飲んで何夢見ているのよと一喝、そんな事実はなかったときっぱり言われます。女房の剣幕にすっかり反省した勝五郎は性根を入れ直し、酒を断って働き始めます。もともとしっかりした腕と目を持っていた勝五郎ですから、その働きぶりから信用を取り戻し、商売も繁盛し借金も見る見るうちに減っていきました。
    3年ほどたったある大晦日、一年間働き詰めだった勝五郎に女房がこう切り出します。「実は、革財布を拾ったのは事実、しかし正直に役所に届けず横領したとなれば重罪は免れない。大家さんと相談して役所に届けた。時がたち役所から連絡があり持ち主が現れず我が家のものになった。そのことをあなたに知らせるとまた元の生活に戻りはしないかと黙っていたが、もう大丈夫だと思って今日真実を話した。どうだいお前さん、燗をつけておいたからあれだけ好きだったお酒、一杯飲むかい」、勝五郎は酒を口元までもっていき香りをかぎますが、手を止めて一言「よそう。また夢になるといけねえ。」
    大晦日の人間劇は昔と比べると少なくなってきましたが、コロナ禍で人間らしい暮らしができなくなっている人も少なくありません。多くの市民が明るく年を越すことができ希望にあふれた新年を迎えることができるよう祈念いたします。

    令和3年11月

    10月5日に真鍋淑郎氏を含む3名の2021年ノーベル物理学賞受賞者が発表されました。コンピュータ解析による地球の気候変動シミュレーション方法の開発により、人間活動によって地球温暖化が起きるメカニズムとその予測についての研究分野を切り開いたことが授賞理由です。
    地球の気候は人類にとって極めて重要な複雑系のシステムで、真鍋さんは大気中の二酸化炭素の濃度が上がると地表の温度上昇につながることを証明したとされています。
    「今回の賞が世界の首脳に対して気候変動の危機がいかに重要であるかとのメッセージを込めているのか」という質問に対して、ノーベル物理学賞の選考委員は「世界の首脳でまだこのメッセージをしっかり受け止めていない人がいるならば、私たちがこう言ったからといって理解するものではないと思う。私たちが言えることは、温暖化は確固たる科学に基づいて解明されているということだ。」と述べたそうです。
    時あたかも、今年7月26日から8月6日まで行われた気候変動に関する政府間パネル(IPCC)総会および作業部会において第6次評価報告書が承認され、公表されました。このポイントは(1)人間の影響が海洋および陸域を温暖化させてきたことは疑う余地がない(2)気候システムの最近の変化の規模は何世紀も何千年もの間、前例のなかったものである(3)世界平均気温は、向こう数十年の間に二酸化炭素および温室効果ガスの排出が大幅に減少しない限り、21世紀中に地球温暖化は1.5度および2度を超える(4)自然科学的見地から地球温暖化を特定のレベルに制限するには、少なくともCO₂正味ゼロ排出を達成し、他の温室効果ガスも大幅に削減する必要がある…等であります。
    政府も昨年10月「2050年カーボンニュートラル宣言」を発表しこの問題に正面から取り組むことを表明したのは皆さんご存知の通りです。
    本市も9月2日に「ゼロカーボンシティ宣言」をいたしました。生活の豊かさを維持しつつ、温室効果ガスの排出を大きく抑制することが求められます。公共施設の省エネルギー化や市公用車の燃料消費量の低減はもちろん、市民の皆さんにも身の回りの製品の買い替えや、ライフスタイルの選択などで賢い国民運動「COOL CHOICE(クールチョイス)』の実践が求められます。ご協力をよろしくお願いします。

    令和3年10月

    今月23日から12月19日までの日程で、稲沢市荻須記念美術館において「生誕120年記念 荻須高徳展-私のパリ、パリの私-」が開催されます。
    今展覧会の図録の最後に掲載されている年譜によると、私が荻須作品に最初に出会ったのは昭和50年10月、名古屋松坂屋で開催された「パリの心を描く 荻須高徳新作展」であったようです。そのお名前と郷土の高名な画家であることは存じ上げていましたが、実物の作品に触れたのは初めての経験で、ポスターを買い自宅の2階の自室に通じる階段を上った正面の壁に貼って、今の家が建つまでずっと毎日目にしていたものでした。
    荻須高徳画伯は明治34年、愛知県中島郡井長谷村(当時井堀、儀長、須ヶ谷を合わせた村だった。現在の井堀高見町)に生まれ、交流があり親しかった有名な経済学者の都留重人さんにも「井堀」という地名が印象に残るほど故郷のことを語っていたようです。戦前にパリに渡り画家として名を成し、第二次世界大戦で一時帰国を余儀なくされるも戦後、日本人画家としては一番早く昭和23年に再びパリに戻ることができたのもフランスの友人たちの助力によるものだといわれています。
    パリの街角を造形性に富んだ構図で描き、日本通でも知られたシラクパリ市長(当時、のちにフランス大統領)に「最もフランス的な日本人」と評されたことでも有名です。
    さて、今回の展覧会は昭和12年にピカソの「ゲルニカ」が出品され反響を呼んだパリ万国博覧会の美術展に出品された「ガラージュ」をはじめ、油彩画81点を一堂に展示し、荻須画伯の画文集「私のパリ、パリの私」に掲載された素描とともに画伯の言葉も合わせて紹介し、全画業を振り返るものです。
    芸術の秋、コロナ禍で芸術の都パリにも出かけられない今、稲沢の生んだ偉大な画家、荻須高徳の絵画にコロナ禍を忘れてひと時お過ごしください。

    令和3年9月

    8月24日、東京2020パラリンピックの開会式が行われました。開会前にさまざまな解任劇等があり評判が芳しくなかったオリンピックの開会式より、押しなべて評判は良かったようです。オリンピックの開会式は、コロナ禍に苦しんだアスリートの孤独、日本の伝統的な踊りなどの芸能、各競技のピクトグラムを表現したパントマイムなどが混在し、やや統一感を欠いていたように感じましたが、パラリンピックは、「WE HAVE WINGS(私たちには翼がある)」をテーマに国立競技場のフィールドを「パラ・エアポート(空港)」に見立てた演出の意図が貫かれていました。
    特に開会式で車いすのヒロインを演じた東京都の中学2年生、和合(わごう)由依さんのパフォーマンスは、式を見ていた世界中の多くの人々に感動と希望を与えたのではないかと思います。新聞などの報道によりますと、由依さんは演技経験はなかったが、5000人以上が参加したオーディションで選ばれ、上肢下肢に先天性の障がいのある自らを重ね合わせるように「片翼の小さな飛行機」を精一杯演じ、不安や困難を乗り越えるメッセージを多くの視聴者に伝えたと評価されています。何事にも「とりあえずやってみよう」という前向きな性格で、中学では生徒会の役員も務め、吹奏楽にも励み、運動会ではダンスも披露したといいます。また、開会式の稽古では頑張りすぎて背中を痛め、周囲にストップをかけられたこともあったそうです。組織委員会関係者によると、演技終了後に号泣し「本当にあっという間でした。これで、このメンバーの皆さんと一緒にやるのは最後なんだな、寂しいな、悲しいなといろんなことがこみあげてきて、泣いてしまった」と感極まって語ったそうです。

    25日には国際パラリンピック委員会(IPC)のクレイグ・スペンス広報部長が「由依ちゃんというスターが新しく日本に生まれた。私も泣いてしまった」と語ったと報道されました。

    パラリンピックは障がい者にスポーツ活動の機会を提供する理念「機会均等と完全参加」と「障がい者のスポーツのエリート性」を表す言葉になったといわれます。

    今、毎日行われている障がい者スポーツの祭典であるパラリンピック。片翼であることの葛藤を乗り越え、長い滑走路を一生懸命走り抜けた由依さんの気持ちを思い、もう一度真剣に見てみようと思います。

    令和3年8月

    偉大な業績から想像する人物像と実際にお話を聞いたその姿のギャップに驚かされた方がいます。ノーベル生理学・医学賞を平成27年に受賞された大村智さんです。

    平成30年6月5日、全国市長会創立120周年記念市長フォーラム(2)で「私の研究と社会貢献」と題する大村さんの講演を聴きました。大村さんのことをなぜ今思い出したかというと、ノーベル賞受賞のきっかけとなった化合物「エバーメクチン」商品名「イベルメクチン」が新型コロナウイルス感染症の特効薬になる可能性があるとの報道を耳にしたからです。

    一般に感染症が収束するというのはどんな状況になった時でしょうか。新型コロナウイルス感染症とよく比較される季節性インフルエンザの場合、コロナ蔓延前までは毎年国内で約一千万人がり患し、関連死も含めると約一万人がお亡くなりになっていましたが、今回の新型コロナウイルス感染症のように人々を恐怖に陥れることはありません。その原因はインフルエンザにはワクチンがあり、タミフルやリレンザのような特効薬があることが安心につながっているからだと思われます。

    大村さんが、最初動物の抗寄生虫薬として開発したイベルメクチンは、人にも有用であることがわかり、アフリカを中心に猛威を振るっていた「オンコセルカ症」を撲滅に追い込みました。オンコセルカ症は、悪化すると失明に至ったり、体が猛烈に痒くなったりする感染症で、この深刻な病気の治療法の発見という功績がノーベル賞受賞のきっかけになりました。

    イベルメクチンが慎重な臨床試験や治験を経て、新型コロナウイルス感染症の有効な治療薬として承認されれば、この21世紀の厄災ともいえる感染症を収束に向かわせるきっかけになるのではないでしょうか。

    冒頭、その業績とお話にギャップがあったと書きましたが、その決して順風満帆とは言えない人生、研究室の経営のこと、イベルメクチンによる特許料の使途として社会貢献を考え,北里大学メディカルセンターという病院の建設で地域医療に貢献したことなどを、ユーモアを交えて訥々(とつとつ)と話されるお姿は、とても好感の持てるものでした。

    イベルメクチンのコロナ治療薬としての承認は、私の力の及ぶ範囲ではありませんが、効果が検証されたワクチン接種を一刻も早く混乱なく進めることが今の私の務めです。

    令和3年7月

    東京2020オリンピックが、7月23日にいよいよ開幕いたします。新型コロナウイルス感染症の拡大、世界的大流行をうけて1年延期し、さまざまな批判や心配がある中での開催です。

    1852年のドイツの考古学者によるギリシャの古代オリンピア遺跡の発掘以来、古代の競技会への関心がヨーロッパ内で高まっていました。近代オリンピックの提唱者クーベルタン男爵は、その頃オリンピックと称される競技会が各地で開かれていた状況に刺激を受け、スポーツ・教育の理想の形として「古代オリンピックの近代における復活」を思い描くようになったといわれています。「スポーツを通して、心身を向上させ、さらには文化国籍などさまざまな差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でより良い世界の実現に貢献する。」ことをオリンピックのあるべき姿としています。

    かくして1896年に第1回近代オリンピックはギリシャのアテネで開催されましたが、その歴史は苦難に満ちたものでした。2つの世界大戦、東西冷戦によるボイコット、そして今回は新型コロナウイルスの大流行と、いつの時代もその時々の社会情勢の影響を強く受けてきました。

    また、今回と同じように感染症のまん延の直後に開催された大会もありました。ベルギーで行われた第7回アントワープオリンピックです。1920年の開催ですので、東京オリンピックの本来の開催年からいうと100年前の出来事です。人類最悪のパンデミックといわれる「スペインかぜ」、世界中で約4000万人が亡くなったといわれ、1918年春に始まり、19年春に第3波を経てようやく終息に向かったようです。日本では1921年まで終息せず、約39万人が亡くなったといわれています。

    奇しくも約100年前のアントワープオリンピックは、クーベルタン男爵が考案した五輪旗が初めて使われ、選手宣誓も初めて行われるなどオリンピックが新しい一歩を踏み出した大会でした。今回の大会もコロナ禍で、従来の常識からいうと完全な大会ではないのかもしれませんが、万全の対策の下、オリンピックの歴史に新しい足跡を残せる大会になるであろうと期待します。

    また、あまり評価されなくなってしまいましたが、ここまで準備を進めてこられました大会関係者、開催が1年延期され難しい調整を余儀なくされている選手の皆さんの健闘を心からお祈り申し上げます。

    令和3年6月

    稲沢市在住の著名な歴史学者、日下英之(ひのしたえいし)さんがお亡くなりになりました。90歳でした。

    私の手元に日下先生が監修された「美濃路をゆく」があります。奥付を見ると2018年5月30日第1刷発行とありますので、平成30年に頂いたものだということがわかります。「前略 こんな一冊が出来ました お閑な折に ご一読下されば 幸甚に存じます 日下英之 市長様」と自筆の栞が挟んでありました。先生は私の自宅の隣の区 日下部町にお住まいでした。義理のご尊父は、旧中島郡大里村の村長や、愛知県議会議員を歴任された日下鎌三郎氏であり、地元では「ひーかまさん」と呼ばれる名家の御養子さんでした。ちょうど私が愛知県立名古屋西高校へ入学した昭和46年の前年に、教諭を務められていた同校から異動され、高校で出会うことはありませんでしたが、郷土史の大家、地元の大先輩として、折に触れて薫陶を受けておりました。著書に「美濃路、熱田宿から垂井宿まで」、「佐屋路 歴史散歩」、「稲沢歴史探訪」等があり、歴史好きな私にとっては自宅の前を通る「美濃路」について深い学職をお持ちの先生でした。

    「美濃路をゆく」の冒頭に「名古屋を中心とした尾張の諸街道」という一文を寄せられており、「前略…第2に枇杷島口、ここを通る街道は美濃路、東海道熱田宿と中山道垂井宿を結ぶ7宿、15里の街道、名古屋はこの街道の一宿であり、前述の札の辻はその中心であった。堀川に架かる伝馬橋を渡り、北上して樽屋町の大木戸をあけ、押切を経て枇杷島を渡り、次の清須宿へと通じていた。将軍の上洛路であり、朝鮮通信使、琉球使節の通行路でもあった。清須を過ぎて四ツ家(よつや)の追分で、岐阜街道が分岐するが、将軍家に献上された長良川の鮎鮨が運ばれたのはこの道であった」とあります。けだし名文です。

    昨年、旧中島郡役所があった土地に美濃路稲葉宿本陣跡ひろばを整備しましたが、先生は出かけられたでしょうか。長束付近に最後まで残っていた松並木も姿を消し美濃路の面影も薄れていってしまいます。私たち現代に生きるものは、往時の賑わいを偲ぶことしかできませんが、美濃路をはじめこの地方の歴史を文章や写真に留めておくことに、偉大な功績を残された日下英之先生に改めて感謝するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

    令和3年5月

    5月5日は、子どもの日です。

    国民の祝日に関する法律第2条には、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに母に感謝する」という趣旨が書いてあります。こども庁の創設など明るい話題もありますが、私には新型コロナウイルス感染症のまん延を契機に2つの心配な点が露呈してきたように思われます。

    一つは、少子化が大変なスピードで加速しているという点です。昨年、令和2年の出生数は、過去最少の87万人余であり、前年と比較して2万6千人の減少でした。さらに懸念されるのは、新型コロナの影響を強く受ける今年の出生数です。昨年1年間の婚姻数は前年より13%も減少しており、今年の出生数は、大幅な減少が避けられないとみられています。実際にコロナの影響が出始めた昨年4月から10月までの妊娠届数は前年比約7%少なく、予想では今年の出生数は約77万人となり、政府等の人口推計と比べても、約10年早いスピードで、少子化が進展することになります。コロナ収束後、ある程度の回復が見込まれるものの、急速な少子化は国や地方の体力を奪う「低出生の罠」と呼ばれる悪循環が起きる可能性が高いと思われます。出生数減→出産・子育て関連市場の縮小→行政ニーズの低下による子育て予算の減少→子どもを持たないほうがいいという意識の拡大…まさに「罠」です。地方としても何らかの有効な手立てを講じなければならないと考えています。

    もう一つは、マスクをすることになったことで乳幼児の脳の発達に影響を与えないかという心配です。保育園等では、保育士がマスクを付けて対応することで、子どもたちとの信頼関係が築きにくくなったという声があがっています。特に1歳までくらいの赤ちゃんは、目・鼻・口の3つがそろって顔を認識し表情を学ぶといわれます。顔と表情で喜怒哀楽を知ることが、他人の気持ちを思いやる基礎になりますので、マスク着用によりそういう気持ちの発達を阻害することにならないか心配です。フランス政府は50万枚の口元が透明になったマスクを保育現場に配布したと聞き、本市も検討したいと考えています。

    感情を読み取ることでコミュニケーションをとって進化してきた人類にとって、コロナは大きな脅威です。子どもの発達段階に応じた対応をよく研究し、「子育て・教育は稲沢で!」をスローガンに、これからも人間らしい感情豊かな子供を育てていきたいと思います。

    令和3年4月

    4月です。令和3年度が始まりました。コロナ禍中に2度目の新年度を迎えることになります。新型コロナウイルス感染症がパンデミック(世界的大流行)と認定されてからもう1年以上経過します。Withコロナ、コロナウイルスと共存する社会がすでに始まっていると言ってもいいでしょう。

    さて、4月5日にはコロナ禍で一年延期になっていた東京2020オリンピックの聖火リレーが、いよいよ稲沢市で行われます。オリンピック聖火の由来を調べると、ギリシャ神話においてプロメテウスが主神ゼウスの元から火を盗んで人類に伝えたことを記念して古代オリンピック開催中に火がともされていたことにのっとり、オリンピックにおいて初めて聖火台に火が灯ったのは、1928年アムステルダムオリンピックでした。また、聖火リレーは、1936年ベルリンオリンピックから始まったと言われています。

    プロメテウスという名前を聞いて思い出すことがあります。東日本大震災のあった平成23年から掲載された「プロメテウスの罠」という東電福島第一原発の事故を題材にしたある新聞の長期連載が記憶に残っています。また、ノーベル賞受賞者朝永振一郎博士も「プロメテウスの火」という原子力についての本を出版されています。紀元前のギリシャ人も火を手に入れたことが人類の進化にとって大きなターニングポイントだったと認識していたので神話が成立したのでしょう。そして、朝永博士の言うように原子力の利用は、人類を違うステージにまで誘うまさに「第二のプロメテウスの火」だということも言えますし、原子力の火は科学にとって原罪のようなものだとも博士は語っておられます。オリンピック聖火の起源は私にとって、人類と火、人類と科学技術ということを深く考えさせる契機になりました。

    昨年、本市の姉妹都市であるギリシャ共和国オリンピア市で採火された聖火が、復興五輪を象徴する福島県を3月25日にスタートしました。そして、今月5日、稲沢市の高校生・中学生の手によって東京のオリンピックスタジアムを目指して引き継がれます。

    コロナ禍で観衆の密集を避けるため、聖火リレーはインターネットのライブ中継をご覧いただきますようお願いいたします。

    〒492-8269 愛知県稲沢市稲府町1
    開庁時間 月曜から金曜 午前8時30分から午後5時15分まで
    (祝日、休日、年末年始を除く。一部、開庁時間が異なる組織、施設があります)
    代表電話:0587-32-1111 ファクス:0587-23-1489
    法人番号:7000020232203

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