稲沢のむかしばなし 久美助稲荷(平和町法立)

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ページID1003158  更新日 平成31年1月25日

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イラスト:久美助稲荷

むかしむかし、法立村に小高い塚がありました。
その塚には小さなお社がありました。日本武尊のお妃のお祖父さんにあたられる方で、尾張大印岐命と申し上げる神さまがお祀りされていました。村の人たちからは稲置社と言われていましたが、長い年月が過ぎるうちに「いなぎ」が「いなり」となり、いつしか「稲荷社」と呼ばれるようになってしまいました。
稲荷社には、むかしから狐が住んでいました。
名古屋のお城にお殿様がおみえになったころには、久美助と呼ばれる狐がいました。そのころ法立村を治めていたのは名古屋城にお仕えする吉原と言うお侍さまでした。久美助はたいへん律儀な狐でした。吉原さまが、この村へ来て帰りが遅くなると、「コーン」とないてお供になり名古屋城までお見送りをするのでした。そして、巾下御門までくると、御門の石垣に登って手招きをするようなしぐさの挨拶をして「コーン」とないて帰るのでした。これが毎回のことです。吉原さまは、このことにいたく感心されていました。そして、ご褒美として毎年五斗五升入りの米俵を、世話人の孫七さんに預けて、久美助の食べ物の足しにさせました。孫七さんも親切な人で、吉原さまの言いつけをよく守って、久美助のめんどうをみてくれました。
あるとき、孫七さんのお嫁さんがお産をしました。それを聞いた久美助は、西の日光川で一日かかって大鯰を取りました。そしてその夜、大鯰を持って、孫七さんの家へお見舞いにやってきたのでした。食べ物の乏しかった時代ですから、鯰がお嫁さんに栄養をつけるのに良いということを知っていて、苦労してとってきたのでした。
そんなことから、お社は誰言うとなく「久美助稲荷」と呼ばれるようになりました。お社のご紋は、今でも鯰と言うことですよ。

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