稲沢のむかしばなし 三つのかき(稲沢市下津町)

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ページID1003145  更新日 平成31年1月25日

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イラスト:三つのかき

いまから、400年ほどむかし。その時代に日本の国をおさめていたのは、大阪城の豊臣秀吉でした。秀吉が死んでからは、そのけらいであった、石田三成が天下をおさめていました。
三河の国から江戸のとのさまとなった徳川家康は、日本の国中をおさめたく、大阪の三成といくさをすることをきめ、江戸から三万人もの武士(サムライ)をつれて大阪にむかいました。
いなざわの下津まで、きたところで、ひとやすみしました。──下津は、江戸と大阪をむすぶ、たいせつな道がとおっていました。下津はそのとうじ宿場町として、さかえていました。
国府宮じんしゃのぐうじさんは、徳川さまが、このまちをとおられるということで、あいさつにいきました。あいさつのおみやげとして、かきの枝をもっていきました。
その枝には、大きな、かきのみが三つ、なっています。
国府宮のぐうじは、
「徳川さま、こんどのいくさには、このかきを食べて、がんばってください」といってさしだした。家康は、口がかわいていたのか、たいそうおいしそうに、かきを食べはじめた。
しばらくすると、
「あっ、はっはっは・・・・・・・・・、そうか、そうか。これは、えんぎがよいのう」といって、手をたたいてよろこびました。
「さすが、尾張の国府宮のぐうじ。三つなっているかきを食べることは、三成をたべることになる」と、三コのかきを食べ、
「さあ──、しゅっぱつだ。みなのものじゅんびをせい」
と、元気よく、西のほうにすすみました。
三成とのいくさは、関が原でおこなわれ、家康の軍は、大勝利。このあと、家康は、江戸で日本の国をおさめました。
下津で国府宮のぐうじさんから、かきをいただかなかったら、徳川は天下をおさめることが、できなかったかもしれませんね。

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