稲沢のむかしばなし 小山の合戦(稲沢市稲沢町)

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ページID1003117  更新日 平成31年1月25日

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イラスト:小山の合戦

いまの稲沢北小学校の東のほうに、稲島城があったときのお話です。
むかし、稲島に木全又左エ門忠澄という、いくさのじょうずな、ぶしがいました。
となりの国でいくさが始まり、稲島のほうにも、せめてきました。敵がせめてきたので、稲島の人たちは、守りをかためて、たたかいました。
しかし、敵の数は1,300人をこえるおおぜいです。稲島の人たちは、300人ぐらいですから、少ない稲島の人は、槍でつかれたり、矢のまとになったりしました。たいへんな苦戦です。
忠澄は、100人ほどのけらいといっしょに、松のこんもりしげった小山にかくれ、少しもうごこうとしません。
これをみた人は、
「忠澄どの、てきがせめてくるというのに、山にかくれているとは・・・」と。
またほかの人は、
「いまこそ、みかたをたすけ、てきをやっつけるときなのに、おくびょうだな」「いったい何を考えているのか」と口々に、ののしりあっていた。

こういわれても忠澄は、少しもあわてることもなく、おこることもなく、「いや、ちょっとかまえているだけだ」と、のんびりとこしをおろしていました。
ほかのぶしは、これをきいて、たちさるものも、いました。
忠澄は、「みんなのもの、よくきけ! この道は、勝っても負けても、かならずとおる道であるぞ。ばかなあいては、勝ったと思って、なにもかまえずに、引きあげるにちがいない、いいか、じっと松のかげにかくれておれ」といって、また、「どっこいしょっ」と、すわりこんでしまいました。
しばらくすると、忠澄が予想したとおり、てきのぶしは心をゆるめて、小山のほうにちかづいてきました。あるものは、口ぶえをふきならし、あるものは、はなうたきげんで、手がらなどをほこっています。
みなにつたえたとおり、できるだけちかづくのをまって、忠澄とそのけらいは、いきをこらしていました。
「よおしー、今じゃ。声を上げえー。」
「オー。オー。」
その声に山はこだまして大きなひびきとなった。
「ウオ―、ウオ―」
びっくりしたてきは、自分たちよりもおおぜいの軍が山にかくれていて、せめてくると思い、おどろいてちりぢりになってしまいました。それを見て、忠澄は百人ばかりの兵を三つに分け、一つは松のあいだから、さかおとしにつきすすみました。するとてきはいったんにげてまたひきかえしてきました。そのとき、もう一つは、どっと「とき」の声をあげつっこみました。また、つづいて残る一つも大声をあげて、きりかかりました。
こうして、思いもよらぬふいをうたれたてきの多くを、うちとることができました。
作戦は、いろいろあるのですね。

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