平成29年12月

 今年も、早や師走、何かと気ぜわしい毎日をお過ごしのことと存じます。
 私は昨年12月の稲沢市長選挙で当選し、市長に就任したわけで就任以来約1年が経過したことになります。市議会議員としての経験はあっても、市役所内の政策意思決定過程にかかわったことはありませんでしたので、最初は一日が長く感じられる毎日でしたが、ようやく仕事にも少し慣れ、市民がしあわせを実感できる稲沢市を創るため日夜仕事に励んでいます。
 さて、市民の皆さんにとって今年一年はどんな年だったでしょうか。良い年だった、あるいはごく普通、アンラッキーなことばかり起きた年だったと、いろいろな方がいらっしゃるでしょう。
 「人間万事塞翁が馬」ということわざがあります。あるいは、「禍福は糾える縄の如し」とも言います。幸不幸は表裏一体、目の前の幸不幸に一喜一憂することなく、自分の信じる道を一途に進むことこそ大切なのではないでしょうか。
年はまだ終わったわけではありませんが、これからもまず、第一に市民の利益と幸せのことを考え、まっすぐに行政運営を進めてまいります。
 今年一年、私の拙いホームページ上のあいさつにお付き合いいただきましてありがとうございました。

平成29年11月

11月1日は、稲沢市制記念日です。今年で59回目の市制記念式典を1日午前10時より名古屋文理大学文化フォーラム(稲沢市民会館)で挙行いたします。
 今年は西暦2017年、リニア中央新幹線(品川~名古屋間)の開業は2027年が予定されていますので、ちょうど10年後のことになります。9月定例議会で、来年度から10年間のわが市の最上位計画であります稲沢市総合計画の基本構想(ビジョン2027)が、議会の皆様のご理解を得まして可決承認をいただきました。計画の最終年度が2027年になるこの計画は、リニア開業による経済波及効果をどのようにわが市に取り込むかが最大のテーマとなっております。
 すでに各研究機関から様々な試算が出ておりますが、経済効果の総額は10.7兆円(50年便益)ともいわれています。それに加えて名古屋圏の地域経済に及ぼす影響が、私には興味があります。最近、講演会などで聴いた話によると、一つ目は、愛知県のGRP(域内総生産)が、長年東京都に次いで2番目であった大阪府を抜く可能性があること。二つ目は、一般的に日帰りビジネス圏と考えられる2時間で到達可能な圏域が、大幅に拡大し、名古屋起点の2時間圏人口が国内最高になることが挙げられています。また、名古屋圏のオフィス賃料は東京圏のそれと比べて非常に安く、出張コストを差し引いても、オフィスにかかる固定経費の軽減は企業にとって魅力的であるともいわれています。このようなことなどから、特に名古屋駅周辺や、名古屋駅に直結する近郊都市には大きなアドバンテージが与えられることになります。
 名古屋駅から公共交通機関で10分の稲沢市、次の10年に向かってどんな青写真を描き、実現していくか、私や職員に課せられた使命は重いと思っています。旧来の発想にとらわれることなく、大胆に、そして着実に、市政を推進してまいります。

平成29年10月

  名古屋まつり(10月21・22日開催)の主役、郷土の三英傑といわれる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人は、それぞれ長く続いた戦国の世を終わらせ、近世への扉を開いた英雄でありまして、日本史上でも人気の高い人物であります。
 その時代、稲沢市内出身で、それほど世間で有名でない武将が何人かおります。秀吉の五奉行のうちの二人、長束正家(なづかまさいえ)、増田長盛(ましたながもり)は、まだ知られているほうで、それぞれの出生地といわれる長束地区、増田地区には石碑等もありますが、現在の新潟県新発田市の新発田藩の藩祖となった溝口秀勝はあまり知られていません。
 溝口秀勝は、天文17年(1548年)、今の稲沢市西溝口町に生まれ(あま市東溝口だという説もある)、信長の家臣である丹羽長秀に仕えましたが、その後武功を上げ大名となり、秀吉の朝鮮派兵の際は、肥前名護屋城を守備し、慶長3年(1598年)、越後の国蒲原郡新発田城6万石を与えられました。関ケ原の合戦では、東軍に与し、戦後家康から所領を安堵され、初代新発田藩主となりました。新発田藩は幕末まで続き、12代藩主直正は、明治17年、華族令によって伯爵となっています。また、直正の次男大倉直介は新発田出身の大実業家、大倉喜八郎の妹の養子となり、大倉男爵分家を継承し、直正の長女久美子も、ホテルオークラ、赤倉観光ホテルなどで有名な大倉喜七郎(喜八郎の子)の妻となっています。
 このように非常に長く華麗な歴史を持った溝口氏でありますが、その出生の地は定かでありません。「日本城郭全集」という書物の記述を唯一のよりどころとして、私も市内出生説をとっていますが、わが市の教育委員会も確証はないと言っています。
新発田藩藩祖、溝口秀勝の激動の人生の出発点が、市内西溝口であったということに思いを馳せ、秋の夜長、戦国ロマンに酔うことも、また一興ではないでしょうか。



問合先 市役所秘書広報課

最終更新日 平成30年1月4日